概略
神名:子守明神 / 勝手明神
Name:Komori-myōjin / Katsute-Myōjin
別称:子守権現、御子守明神 / 勝手権現
A.k.a:Katori-Gongen, Mikomori-myōjin / Katsute-gongen
霊場:吉野(大和国)
Holy Place:Yoshino(Yamato)
別当:国軸山 金峰山寺
Admin of a Buddhist Temple:Kongōhō-ji
祭神:水分神 / 正哉吾勝々速日天忍穂耳尊
Provisional Shinto Deity:Mikumari-no-kami / Ame-no-oshihomimi
本地:地蔵菩薩(僧体)、阿弥陀如来(女体)、十一面観音(俗体)/
毘沙門天(諸説あり)
Original Buddhist Divinity:Jizō-Bosatsu, Amida-nyorai, Jūichimen-kannon / Bisyamon-ten
「金峯山秘密伝」は 「子守明神トハ地蔵薩埵ノ垂跡」 「此レ即女体ノ神、勝手大明神ノ所妻也」 とし、 「身ニ七珍宝衣ヲ着ス。即左ノ手ノ宝珠ハ衆生ノ所願ヲ満シ、右ニ天扇ヲ執リ国土ノ災難ヲ払ウ」 とする。 また若宮明神姫は弥陀如来の垂跡で子守姫神といい、童女の姿で七宝の衣を着し双手に弓を執り、愛金剛の女相を表すという。 さらに三十八所は子守明神所生の若宮兄弟で、護国の神であり、三十八神を合わせて一所に祀り、本地は千手とある。 「金峯山秘密伝」中の御嶽曼荼羅の外周右方中央に示され、若宮はその下、三十八所は上に示されている。 なお本地の異説として子守明神は一説に阿弥陀如来、若宮は阿弥陀、三十八所は一説に十一面、秘密は胎蔵大日、一説には金剛界三十七尊とある。 なお、「金峯山秘密伝」中の「子守本地供次第」に 「変シテ勝軍地蔵ト成ル」 とあり、本地は具体的に勝軍地蔵と見なされていたことがわかる。 勝手明神と子守明神が夫婦神とされると同時に、本地は勝敵毘沙門・勝軍地蔵と併称される軍神だったのである。
引用:首藤善樹.”金峯山寺史-子守社”. 本地垂迹資料便覧 http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/honji/files/YOSHINO_MIKUMARI.html
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参考外部リンク
『吉野水分神社』 ↳ 本地垂迹資料便覧 様 『勝手神社』 ↳ 本地垂迹資料便覧 様 『吉野水分神社』 ↳ 吉野町 様 『勝手神社』 ↳ 吉野町 様 ※消失前の写真有 『「吉野子守明神画像」偶感』(PDF) ↳ 大和文華館 様 『子守三所権現鏡像』 ↳ 文化遺産オンライン 様 『子守権現甲冑騎馬像』 ↳ Google Arts & Culture 様 『三徳山三佛寺所蔵木造勝手権現像について』(PDF) ↳ 奈良文化財研究所学術情報リポジトリ 様
大和金峰山では山内に子守・勝手・金精・佐投・天満・牛頭・七王子・雨師・三十八所・役行者などの諸神が蔵王権現蔵王権現の勧請と崇敬に随従している。これらのうちで八神を選び吉野八社明神と称している。なかでも・最も重要なのは子守・勝手の二明神で地方の蔵王権現社に必ずといってもよい位に随従している。地方の子守・勝手明神は大和金峰山にならって遷されたことが判る。地方に蔵王権現は判明しなくても子守・勝手の存在が判明すれば、蔵王権現の鎮座を想像することができる。
引用:佐藤虎雄. “蔵王権現の勧請と崇敬”. 天理大学学報. https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/594/GKH003903.pdf
関連社寺外部リンク
関東地方
勝手大明神(群馬県伊勢崎市) 勝手神社(東京都八王子市) 子守神社(神奈川県鎌倉市)
近畿地方
勝手神社(三重県名張市) 子守勝手神社(滋賀県東近江市) 勝手神社(滋賀県蒲生郡竜王町) 勝手神社(滋賀県蒲生郡竜王町) 勝手神社(京都市左京区) 子守勝手神社(京都府長岡京市) 子守神社(京都府船井郡京丹波町) 子守勝手大神社(大阪府東大阪市) 子守大明神(大阪府八尾市) 勝手神社(奈良県大和高田市) 子守大明神(奈良県生駒郡斑鳩町) 吉野水分神社(奈良県吉野郡吉野町) 勝手神社跡(奈良県吉野郡吉野町) 吉水神社(奈良県吉野郡吉野町) ↳ 勝手明神御神体遷座 国軸山 金峯山寺(奈良県吉野郡吉野町) ↳ 吉野曼荼羅 子守神社(和歌山県伊都郡九度山町)
中国地方
三徳山 三佛寺(鳥取県東伯郡三朝町) ↳ 子守・勝手権現騎馬像 愛宕権現子守大明神(山口県柳井市)
九州地方
妙法夫婦子守大明神(福岡県糟屋郡新宮町) 多夫施神社(鹿児島県南さつま市)